なぜスピリチュアルであることを選択するのか?
宗教においては、他者の経験に信仰をおくことが一般的です。しかしスピリチュアリティにおいては、自分自身の経験こそが自分の人生を豊かにする、と言われています。
何故、人々はスピリチュアリティでなく宗教を選ぶのでしょう?現在、人間が生まれ育つ地域やコミュニティの殆どがそれぞれドグマ、宗教を取り入れています。ですが、世界の全ての物事には少なくとも四通りの方法、実行の仕方があります。「こうあるべきだ!」と言った瞬間、それは「ドグマ」となってしまいます。実際に殆どの人が、自分の宗教を選択しているのではなく、生まれた場所に取り入れられていた宗教を信仰しています。人々に選択があれば、世の中の状況は大きく違うでしょう。
スピリチュアリティでは常に様々な方法、やり方を探しています。より良い生き方があるのではないか、と信じることを選択し、他の者をジャッジするのでなく、許しと共に生きるというをします。そして人が選んだ道を尊重し、慈悲を持つ様にします。皆、物事を良くしようと努力しながらも、ひとりひとりに最善な方法は自分は知らないかもしれない、さらに自分自身のために最善な方法も実はまだ分からないかもしれない、ということも知っているのです。ですが顔には笑みを、心には希望を持ち、探し続ける。
重要なのは、日々において進化を見いだすこと、そして自分自身のより善きスペースに進み続けることです。
スピリチュアルな人間は、魂により喜びを、そしてマインドにより平和をもたらす生き方を目指します。ストレスや怒りを感じさせるものを手放し、静である方法を育もう、と。ですがそうすると、社会に背を向けたかの様に見られることもあり、偏見を受けることもあるかもしれません。大衆によって定めれられた道から外れ、外壁に隠れるひとつのレンガであることを辞め、自分自身の道を歩いている人達なのです。
近年、多くの人がストレスや不安、金銭問題、人間関係などの問題をかかえています。スピリチュアルな人間であっても、こういった問題はあります。ただし、そこにはある違いがあるのです。その物事を「問題」とは呼ばず、「解決策のある状況」と呼んでいること。自己の追求を内に向けると、解決策が表面へと浮かび上がり、私たちは解決策に溢れた新しい人生を歩み始めます。それは喜びと静の人生!スピリチュアルな人生とは、スピリットから、自分の内から来る解決策を探すことなのです。
我々は、内にスピリットがあると信じています。肉体よりも広大で、永遠であり、その存在で世界を満たしている。そして永遠のスピリットを通し、同じく永遠である宇宙の全ての存在と繋がっている。皆ひとつであり、ひとつの存在と繋がっている。それは神とも呼べますが、我々モダンミステリースクールでは「源」(ソース)と読んでいます。ユニバーサルカバラによると、エン-ソフ。我々が出会う、最初の「神」です。我々がこの肉体的経験を得れるように、我々と、そして周りにある全てを創造しました。
スピリチュアリティが及ぼす自由を恐れ、スピリチュアルであることに偏見をもっている人が多くいます。社会の権限では喜びも自由も持つべきではないのでしょうか。ですが、喜びと自由を持っているものは、ジャッジを受けてしまいます。しかし喜びを持ち、自由であって良い。自分の可能性を最大限に生きて良いのです。
スピリチュアリティは、人生において幸せであるチャンスを与えてくれます。自分自身、世の中のことを知る機会でもあります。そうすることによって幸せになり、そして他者も人生を喜びに生きれるよう、願って止みません。
愛と笑いを
グッドニー・ゲド・グドナソン