COLUMN
MMSニューズレター2015年5月!

選択の自由

「こんにちは、私の名前はグッドニー。人間です!」私は異性愛者であり男の中の男、甘い物大好き、頑固な牡牛座です。職業は大工、週末はボーリングを楽しみます。私の妻は専業主婦で、三人の子供の面倒を見ています。針仕事が得意です。私達はボルボを持ち、夏には伊勢の別荘に行きます。趣味は映画鑑賞。新しいジェームズ・ボンドの映画を観たり、子供達と映画館に行く事が好きです。秋葉原に行くと、そこで丸一日過ごしてしまう事もあります。

 ご存知かとは思いますが、これは事実ではありません。自分が定義のボックスに入ることを許していたらなっていたかもしれない、普通の顔です。ミステリースクールでは、良く聞く言葉があります。「私は誰か?」良い人生を送るためには、この問いに答えることが重要です。これは私達が誰かという、自分自身のもつ定義にもよります。私達を定義するものは何でしょう?

 自身が行うワークをもとに自分を定義しているのか。または、他人の意見や、自身の肩書き?自身が追求した教育や学問?もしそうであれば、あなたは「じぶんはだれか」ではなく、「じぶんはなにか」という所で定義付けしています。

 MMSでは自由意志や、そして自由意志に基づいて行動をする事の大切さを聞きます。それはどういう事なのか?私達は、やりたい事を何でもやって良いのでしょうか?いいえ。法を破ってはいけません、それが例え国の法であっても、神の法(国の方と同等に、もしくはより大事)であっても。では何において自由意志があるのでしょう?

 人類の教訓おいて、我々は善と悪における自由意志のみあると言われています。それ以外はもう既に決定されている、全く自由意志も選択も無い、と。我々の人生は決定していて、どこで何をやるかは自分自身にかかっている、しかし内成るガイダンスについていかないと、神との契約を全うしない事になる。

 実際、選択肢があるのは何でしょう。善と悪。では、善と悪とは何なのか。まず、悪の定義を見てみましょう。

 人類の進化成長を止めるもの全て!暗闇の世界へ光が流れるのを阻止するもの!

 そこは明らかになりましたか?いえ、なっていませんね。何が善くて何が善くないのか分からないので、それはそう簡単ではありません。何が自分の進化成長を止めるのか、どう分かるでしょう?普通は、事後まで分かりません。ああやってみたり、こうやってみたり...セミナーに行かなかった後や、セミナーに行った後にこそ、善い選択であったかが分かるのです!

 それではどう人生において前進し、善い事を行えるでしょう?

 全て、定義付けとなるのです。あなたは、どう自分を定義していますか?自分のやっていることによって?いいえ!あなたの仕事は、あなたの定義になりません。ミステリースクールの教えに戻りましょう。「私は永遠の存在。生まれた事もなく、死ぬ事も無い。」ということで、我々は神・女神であります!以上!!!我々は存在として定義され、それ以上は必要が無いのです!...本当に?

 日々に生活において、神、女神であることはあまり手助けになりません。あまりにも壮大で、「こんにちは、私はグッドニーという名の神です!」と挨拶代わりに言えませんよね。友達やクライアントが減るのではないでしょうか。では、どう自分自身を定義するのか?これは、肉体を持った人生にずっとあるジレンマであり、解決すべきところです。どう自分を定義するのか?

 まず、性別から入っていきましょう。私は男です!ふむ、本当に?それとも私は永遠の存在...ということは、性別は無いのでは?ミステリースクールの教えでは、我々は7:3のエネルギーで出来ていると言われています。男性は70%男性性エネルギー、30%女性性エネルギー。女性は、70%女性性エネルギー、30%男性性エネルギーですね。となると、私は100%男性ではない。ふむ、興味深いですね。例えば私が女性として生きたかったら、トランズセクシュアルとなりますよね。男性である私が女性として生きたかった場合、しかし私は同性愛者でもなく、女性服も着たくなった場合...どうなるのでしょう?私は私、永遠の存在ではいけないのでしょうか?

 では、私の性の対象から定義を付けましょう。私は異性愛者です。ふむ、何故またボックスがあるのでしょう?例えば私が、女性も男性も性の対象としている場合...あぁそうだ、私はバイセクシャルとなりますね。ですがこれも、両方の性とセックスをする神、永遠の存在であるというところには届かない...その定義は、私が来たる聖なる性質からあまりにもかけ離れていて、私が何であるか、誰であるかという説明にはあまりにも乏しい。そしてもちろん、「私は誰か」という質問に対して「私は何か」を使って答えるのも、とても難しい。正しい答えからかけ離れ、大きな混乱へと導くだけです。

 では、「私は誰なのか?」答えはシンプルです。私は永遠の存在。

以上!

 

 では、定義について。それらは本当に必要なのでしょうか?これ以上、自分を定義する必要があるでしょうか?足を怪我すると、松葉杖が必要な人もいます。こういった定義付けとは、所詮、松葉杖なのです。

 以前ある方と交わした会話を思い出します。その方は、男性として生きるレズビアンの女性。何故そのように自分を定義付けしているのか、お聞きしました。彼女はLGBTの協会を運営し、男性として生きるレズビアンだと公にしていました。彼女は、それが自分のアイデンティティー、自分自身の定義だと答えました。

 私は聞きました。全ての人の定義を、彼女は持っているのですかと。彼女は、持っていないと答えました。もし彼女がボックスに入りたいのであったら、全ての人々もラベルが、ボックスが必要となると説明すると、彼女は混乱していました。私達は、自身として生きれないのか、何故ボックスに入れなくてはいけないか?と私は聞きました。彼女は、聞き返しました。「では、我々は誰なのか?」そして私は答えました。「我々は永遠の存在、死ぬ事も無く、生まれた事も無い!」彼女が混乱していたので、私は言いました。「貴女は女神なのです!」クイーン、この世界において肉体の奴隷として生き、そこから学び、そしてもうすぐ自身の王国へと戻り、王冠を取り戻すのです。彼女はその答えと考えを気に入っていました。

 私はさらに聞きました。何故、自身をゲイと呼ぶのか?なぜ、「あなた」ではなく、ゲイであるのか?何故、人である人としての定義ではいけないのか?私は私であり、それだけです。何故、性の対象や、誰を愛すべきか、結婚すべきかにおいて自身を定義するのでしょう?彼女は、こういった定義が世の中に理解されるのであれば、それが良いだろうと言いました。私は、こう言いました。「人々は同性愛者やLGBTといった定義は現在理解されていない、なのでもちろん教育は常に必要です!」我々は、自身が欲しいもの、ありたいものを選択する権利があります。私は自身の宗教、自分の存在の仕方を選択する法的な権利があります。それに同意しない人もいるかもしれませんが、その権利のために、我々は立ち上がらなくてはならないのです。

 平等の為に戦うということは、神、女神である権利のために戦うということです。聖なる永遠の存在である権利のために。これは、全ての人々が参加すべき聖なる戦いです。

 LGBTコミュニティが結婚する権利のために戦う、これは、我々の神性のための戦いの一部です。世界がどう定義しようとも或は自身がどう定義しようとも、我々は全員、神の子。永遠の存在であり、個人の定義は、我々が誰であるかということを変えれません。そして、我々が誰であるかという事実も何にも変えれないのです。

 こんにちは、私はグッドニー。私は牡牛座の神で、砂糖が大好きです。私は映子という女神と結婚しており、私達には2匹の猫と美しい家庭があります。一時的に地球に来ている永遠の神ですが、人間であることも楽しんでいます。アートや、詩を書く事、音楽を聴き制作し、踊る事や映画制作、スピリチュアルなことを教えたり、旅行をしたり、スターバックスや、その他沢山好きな事があります。私はこの肉体の人生を愛していますが、いつか、実際の家、実際の存在に戻ります!それでは善い一日を!

 

光あれ

 

グッドニー ゲド グドナソン RM